鈴木雅彦
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一身田での活動
一身田の読み方 信号設置 08寺内町まつり 中野獅子舞
寺内町大掃除 道路の水たまり 道路の荒れ 道路に草
秋の大掃除 09寺内町まつり
2009年 寺内町まつり 09.11.08
 すっかり疲れ果てました。朝8時から準備が始まり、9時からまつり開始なのですが、お天気がいいせいか、準備中からお客さんが行き交っています。まあ、私のコーナーは食べ物のように行列ができるものではありませんから、のんびり準備です。

 商品を並べ、値札を置くだけでいいようなものですが、コーナーの目的は津市の友好都市・上富良野の紹介ですから、パネルを用意して、一身田から移住・開拓して上富良野村の初代村長になった吉田貞次郎さんの紹介や貞次郎さんの娘さんの手記を貼り出して準備完了です。

 何か珍しいもの、面白いものはないかと歩いているお客さんにとっては極めて地味な店です。それでも毎年、このコーナーに花豆やとら豆を買いに来るというお客さんが何人もいらっしゃいます。去年はこれを買ったから今年はこちらにしようという具合です。

 今年は吉田貞次郎さんに関心を持って店を訪れていただく方が幾人かあり、貞次郎さんや十勝岳の噴火による泥流災害などについて説明をさせてもらいました。本来、これがコーナーの目的ですから少し嬉しい寺内町まつりでした。

 商品は若干残りましたが、計算してみると仕入れ代金はクリアできていましたので安心しましたが、帳簿上の売上げより、現金が2千円ほど少なく、どうもお金をもらい損ねたか、お釣りを渡しすぎたようです。でもまあ赤字にはなりませんでしたし、富良野の説明ができましたので、よしとしましょう。
秋の寺内町大掃除 09.11.01
 昨日は一身田観光振興懇話会主催の寺内町の大掃除でした。春の大掃除に続く今年2回目の行事です。朝8時半から1時間余り、町内の住民、各種団体、高田本山、一身田中学校など総勢で、どうでしょう、200人くらいでしょうか、環濠を中心にして水路の清掃、ごみ拾い、草むしり等々に大汗をかきました。

 私もデッキブラシを片手に、水路の蓋を外し、ごしごしごしごしと汗をしたたらせて掃除しました。デッキブラシを掛けた後は、ご近所の井戸で水を汲み、水路に流してさらに泥を流します。水路は徐々にきれいになっていきます。

 表通りがすんだら最後は裏の水路です。観光客の目にも地元の人の目にも触れることのない水路ですが、流れが澱むと臭いの元になりますから放置できません。長靴に履き替えてザブザブザブザブと溝に入り、西から東へとデッキブラシを掛けます。

 枯れ枝や瓦など水路に落ちているものを拾い上げ、ひたすら東へ東へとブラシを掛けます。終わった所から少しずつ水が澄んでいき、やればきれいになることを実感しながら、ザブザブザブザブと進みます。汗まみれで水路からはい上がると終了の時間です。本山の境内に集合してご苦労さん、お茶を頂いて秋の清掃は終わりました。

 ズボンも服もすっかり汗と泥で汚れていますから、洗濯です。着替えてシャワーを浴び、ようやく人心地がつきました。勤労奉仕の成果は今日の筋肉痛という形で表れています。
道路に生い茂る草 09.10.12
 下の写真は2枚とも「かわきた苑(大里川北町)」入り口から南黒田方向を見たものです。きちんとした歩道があるのですが、山側から草が覆い被さるようにはみ出し、通行の妨げになっていると苦情を頂きました。また、車道と歩道を分ける縁石の所にも背の高い草が生い茂っています。

 これは早速、道路管理の担当の方に報告して改善してもらうようにしたいと思います。 
慈光院跡地前 本格改修は来年度 岩崎病院前はこの秋 09.08.06




これらの写真は
一身田の慈光院跡地前の市道です
出張所のもう少し北の部分です

補修した跡が見えるように
何度も補修をしていますが
荒れは広がる一方です

津市としては
来年度に下水道工事があるため
同時に本格改修する予定です
とりあえず穴は塞ぎます

写真の番号は
北からの撮影順です

なお 岩崎病院前の道路は
この秋 9月以降に
本格改修を行います



雨が上がってもこの水たまり 09.08.03
 今朝はようやく雨模様から抜け出し、もしかしたら梅雨明けの可能性も予感させそうなお天気です。しかし雲が多いので、はたしてどうなることかと空を見上げています。水道局にとっては頼もしい雨でしょうが、稲が頭を垂れ始める時期ですから、農家にとっては心配な雨です。

 合併後、旧自治体の予算を合算したものが津市の予算になると思った方も多いでしょうが、交付税の関係もありますから単純に合算とはならず、各方面にしわ寄せがあります。特に道路維持の予算は旧津市の予算と余り変わりません。つまり実質的には道路維持予算は減っているのです。ということは道路は合併前より荒れていると言うことです。

 下の写真を見て下さい。道路が荒れているのが分かると思います。舗装がひび割れ、剥がれ、穴が空いています。穴の空いている所は、何らかの工事の後の再舗装に問題があったのではと思わせます。雨の上がった今朝の写真ですが、かなりの水たまりができています。水たまりの原因は舗装のすりつけに起因するものですが、いろいろ話を聞いてみると、どうも業者と市役所の言い分に食い違いがあるようではっきりしませんが、いずれにせよ、住民は困っています。

 道路維持予算の実質的削減が、生活道路の荒れを生むのは間違いありません。こんな所にも合併の弊害が出ているのです。
今朝は寺内町の大掃除だぞ 09.05.16
 総勢何人集まったでしょうか。中学生だけでも200人、地元住民もそれぐらいいたでしょうか、そして高田本山関係者、市職員の皆さん。今朝は8時半から数百人がかりで寺内町の大掃除です。雨の中、ごみを拾い、草を引いたり、刈ったり、水路を清掃したりと、昨年の秋以来、2回目の行事。そう、これは観光して戴いて気持ちの良い寺内町をという趣旨で、一身田観光振興懇話会(行政と住民で構成)が呼びかけて、行っている行事です。

 私もゴム手袋に長靴、デッキブラシを手に、町内の側溝の蓋を外してゴシゴシやりました。ごみを拾ったあとのヘドロを上げ、取りきれないヘドロをデッキブラシで押し流すのです。数分もするとまさに滝のように汗が流れ始めました。

 表の側溝が終わると裏手の水路です。ここが曲者です。深い上にヘドロのたまり方が違います。ヘドロをかき混ぜると臭いも強烈です。水路に入り、ヘドロの中を歩きながらデッキブラシを押していきます。裏庭部分では木の枝が行く手を阻みます。瓦のかけらや陶器の破片、大きめの石や枯れ枝なども落ちています。長い距離を行ったり来たりしてもヘドロは取り切れませんでしたが、何とか流れは良くなりました。

 かくしてしっかり1時間汗をかきました。その汗の分だけは寺内町が綺麗になりました。中学生の皆さん、町内の皆さん、本山関係者、市職員の方々、ご苦労様でした。そしてありがとうございました。

 泥だらけのズボンや服は洗濯に、そして人間はシャワーです。さっぱりして体重計に乗ったら、昨夜より1s強、体重が減っています。これも大掃除の御利益ですね。ありがたい、ありがたい。でも腰が痛い。

 【5月17日の記事】
今日、近所の荒物屋さんへ行って、デッキブラシを買ってきました。昨日の大掃除で綺麗にできなかった裏の水路の掃除の続きをするためです。1本400円、案外安いものなのですね。

 昨日と同じように長靴にゴム手袋の出で立ちで、まずわが家の横を走る水路から始めます。やはり瓦だの、板だの、棒切れだのといろんな物が落ちています。それを取り除きながらゴシゴシゴシゴシ。その水路は裏の水路につながっていますので、そのまま裏の水路に突入です。またもやアレを拾い、コレを拾いしながら水路を東へ。行ったり来たり、押したり引いたり、大量のヘドロと格闘を続けること約1時間、ようやく「釘貫(くぎぬき)門」の石橋まで到達しました。

 ところが石橋の下に大量のヘドロが溜まっており、あまりに狭い空間なので、そこのヘドロの除去が叶いません。流れはそこで阻害されますが、これ以上の作業は不可能のようです。石橋を抜けた先の水路にもヘドロが溜まっており、水路には柵がしてあって入れません。残念ながら作業は中断です。しかし、釘貫門まではとりあえず水が澄み、底が見えるようになりました。

 あとは例年の、バキュームによる市の清掃作業を待つことにしました。さて、また服は洗濯、人間はシャワーです。
中野の獅子舞
 今日2月8日は3年に一度の一身田中野の獅子舞の舞い込みの日でした。津市の無形文化財にも指定されている伝統芸能です。

 6年前は大雨で散々だったことを思い出しましたが、今日は風がきつくて神事の間、座っているのが寒くて寒くて、震えてしまうほどでした。

 津市からも生涯学習とスポーツ文化振興から職員の方々に来ていただきました。ありがとうございました。

 岡議員は挨拶、私は玉串の奉天、と役割を分担して参加させていただきました。
2008年 一身田寺内町まつり
 11月9日、恒例となった寺内町まつりが開催されました。

 朝、6時半に起きると、何やら外が暗そうなので、もしやと思い窓を開けると、隣の家の屋根が濡れ始めた所でした。雨です。ややっ、これは困ったぞ。脳裏をよぎるのは、人出の少ない閑散とした風景、いかん、これでは仕入れた商品が売れ残り、大赤字を抱える羽目になる、なんとも不吉な考えです。

 しかし売るしかありません。まあ、幸い雨足は大したことありません。すぐにやむことを期待して出店の準備。机を立てて、イスを配置して、商品を並べ、上富良野紹介のパネルを設置。それにしても寒い日です。雨と寒さのためか、やはり客足は今ひとつです。しかし売るしかありません。

 辺りによく通る声を意識的に出して、商品を紹介し、上富良野と一身田や津市との関わりを説明します(クリックすると上富良野町の郷土誌のページにリンクします)。つまり口上です。三重開拓団がどのように結成され、どんな船に乗っていつ何処に到着したのか、富良野原野に辿り着いてどうしたのか、など事前にネットで勉強した内容を、昨夜、布団の中で組み立てておきましたから、自分でも驚くほどすらすらと口上が飛び出してきます。全部やれば20分はかかろうかという大口上です。

 ぼつぼつ立ち止まって聞いてくれる人も現れますが、金融不安は寺内町まつりにも影響を与えているようで、どこの店も「財布のひもが堅い」と嘆いています。しかし売るしかありません。「そもそも北海道の富良野原野を開拓したのは、明治30年3月28日、四日市港を敦賀丸で・・・」「上富良野村の初代村長は、ここから100bほど西の家で生まれた吉田貞次郎さんという方で・・・」

 これを延々と朝9時から午後4時40分まで続けました。途中ポットのコーヒーでのどを潤しつつ、我ながら大奮闘です。声もだんだん出にくくなってきましたが、お客さんが通りかかると反射的に「津市安東町出身の田中常次郎さんが組織した三重団体・・・」と口上がひとりでに出てきます。

 その結果、若干の売れ残りはありますが、計算してみるとどうやら仕入れ代金を支払えるだけの売上げは、ギリギリですが確保できました。しかし、私のコーナーは津市と友好都市提携をしている上富良野を広く紹介することが目的ですから、これで良しとしましょう。

 いやはや私の隣で頑張ってくれた妻に感謝。そして私のメールに応じて来てくださった友人たちに感謝。寺内町に来てくださった皆さんに感謝です。ありがとうございました。それにしても声を出し続けることは体力がいります。すっかり疲れ果てて、1日で体重が1キロ減りました。
 豊野団地南側出入り口の三差路に信号がつきました
 問題の箇所は河芸方面が急カーブで非常に見通しが悪く、事故も起きていたことから、団地自治会が公安委員会に一昨年から信号の設置を要望していました。

 市議選のおり、団地の多くの方から信号設置の要望が出ていましたので、この問題は私の公約でもありました。私は自治会の要望に合わせ、18年9月議会でこの問題を取り上げました。同時に、県の交通モニターからも要望書を出してもらいました。その結果、19年には、とりあえず路面標示で注意を促し、様子を見ることになりました。そしてこの度、ようやく信号が設置され、2008年2月29日から稼働し始めたのです。

 「夜間は点滅に」との声もありますが、故障時を除いて原則的に点滅信号にしないのが最近の方針らしく、公安委員会の判断にお任せすることになります。
一身田は「いっしんでん」か「いしんでん」か
 「一身田」という地名の正しい読み方は「いっしんでん」であるから、JR東海は「一身田駅」の表示を「いしんでん」から「いっしんでん」に変更せよ、との申し入れを、一身田の連合自治会がJR東海に行っています。

 この申し入れは昨年(2007年)に行ったものですが、JR東海は、昔から「いしんでん」だった、また、変更すると数億円のお金が必要になるからできない、という立場に立っています。そこで連合自治会は津市に対して協力要請を行い、市長が一身田駅を視察しました。その場に私も立ち会い、幼い頃、親から住所を教わったとき、「津市いっしんでん」と覚えた話を市長にしました。市長も「いっしんでん」に同意されていました。

 今後、地名・駅名の正しい表示のために、連合自治会に協力していきたいと考えています。
 左の写真は「一身田駅」のすぐ北にある踏切です。電柱の下の方に表示板があるのが分かるでしょうか。踏切の名称を記載した表示板です。

 拡大したのが右の写真です。JR東海は自ら「いっしんでん」と表示しています。様々な事例や住民の記憶からも、「いっしんでん」と読むのが正しいようですし、合併協議の中で、地名として「いっしんでん」が確認されています。
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